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五月大歌舞伎 夜の部

  • Posted by: ひろむ
  • 2005年5月21日 23:10
  • 歌舞伎

これほど書きづらい感想もあったもんじゃない…。
まあ、今日は朝から出かけなくちゃいけなくて、うろうろしてて疲れてたしってことで勘弁してもらおう。

三ヶ月連続の十八代目中村勘三郎襲名披露もいよいよラスト。
夜の部は『義経千本桜 川連法目館の場(よしつねせんぼんざくら かわつらほうげんやかたのば)』で幕開け。
義経が海老蔵、静御前が菊之助、狐忠信は菊五郎だったのだが、菊之助以外はだいぶ無理があった気がする。
海老蔵は全然動かないまま、静かな中にも存在感を見せなくちゃならないって役だと面白くない。やはり動きの人なんだなあ。菊之助は綺麗だし、静御前は綺麗で芯が強くて義経だけを見ているというのが出ていたので十分。菊五郎は、あの年で狐忠信はつらいだろう。動きにキレがないし。仕掛けを使って出て来る処はいいんだけど、動きだけで魅せないといけない場面では、痛々しい感じさえした。人間の忠信の方での芝居が良かっただけに溜め息。

『鷺娘』では冒頭、場内が真っ暗になり、ぼーっとほの暗くうかびあがってきた舞台に、静かに白無垢の娘が現れる。それはもう、夢幻のごとき美しさ。のはずだったのだが、いかんせん客席がうるさい。TVでも見てるつもりなのか、隣の席の人と囁きあったり鞄や荷物をごそごそさせたりで落ち着かない。白無垢から引き抜きで鮮やかな友禅になると同時に照明が煌煌となり、それ以前の静寂/寂寥との対比が楽しめるのだが、全然静かじゃなくってしらけた。ことに玉三郎が綿帽子をとって面を現す場面において、「美しい」という言葉が小声で聞こえてきたのには失笑だった。それ、まるっきりポイントずれてないかい?自分ちで一人でDVDでも見てる分にはいちいち声かけてもらっていいけど、劇場なんだから飲み込もうよ。せめて嘆息するくらいにしておいてほしい。
そんなこんなで気がそがれてしまい、せっかくの”美しい”鷺娘の味わいが減じてしまった。残念。

『野田版 研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)』は、ものすごく評価の分かれる芝居だろう。
野田版は『鼠小僧』を観ているし、あれは歌舞伎として面白かったので期待をしていたのがいけなかったのかもしれない。
「で、『浪人街』とどこが違うって?」
と思ってしまった。確かに元の脚本は歌舞伎だろう。でも中身はまるっきり現代劇・野田芝居だ。野田芝居としても、どうなのよって感じだが。
歌舞伎に演出家を導入するのは構わないし、コクーン歌舞伎、つまり串田和美を迎えての歌舞伎は、現代劇の役者まで出ていながらにして歌舞伎だった。でも『研辰』は、演じてるのは全員が歌舞伎役者であるにも関わらず、現代の時代劇だった。何故か?

舞台美術はとても美しく、燃えるような紅葉は印象深い。回り舞台のこんな活かし方があったのかと感嘆した。
仇討ちに出かける兄弟の染五郎、勘太郎は歌舞伎を演じようとしているし、彼らが一番好印象だった。福助はやり過ぎ。いい加減にあのノリの演技を止めないと、普段の芝居にまで悪影響が出るんじゃないかと心配になる。三津五郎ははじけっぷりが楽しく、同時に家老として風格もあって良い。橋之助の坊さんは存在感があって良かった。勘三郎がはしゃぎ過ぎ?まあ彼の芝居だ、好きにしろって。
全体としては、百万遍で群がる衆目に辰次が抗議する場面あたりから後は良かったけど、それまではバタバタし過ぎてて味わいってものがない。誤解を恐れずに言ってしまえば、最近の若手芸人のつまんない宴会芸を見てるみたいだった。部分部分は面白かったんだけどね…よく笑かしてはもらったし。
歌舞伎界に一石を投じたいという勘三郎の試みとしては成功なんだろう、たぶん。

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