- 2005年6月25日 23:59
- 歌舞伎
コクーン歌舞伎の『桜姫』。
正直なところ、あまり期待はしないで出かけて行った。
理由の一番は、出演者にあった。正確には、出演しない人がいることに、である。何分にも、これまでのコクーン歌舞伎は「勘九郎の」芝居というイメージが強かった。従って、それを大きく感じさせる結果になりはしないかと危惧していたのだ。結果として、単なる杞憂であったが。
それと、最近の福助丈の芝居に、食傷気味であったのも事実だ。襲名披露の歌舞伎座も、その前にあった12月の歌舞伎座などでも、下卑た色を前に出してることが多くて、それに飽き飽きしていたのだ。同じ調子で桜姫を演じられてはしらけてしまう。これも要らぬ心配であったが。
もう一つ大きな不安が、『桜姫東文章』という話自体にあった。
本来の筋書きでは、かなり奇想天外な、あり得ない展開で凋落していく桜姫が、最後にはあっさり元のお姫様に戻ってしまうのだ。人間関係の設定も、前世の因縁があったり、実は兄弟ってお得意のパターンがあったり、とにかく強引な上にも強引な展開なのだ。それをどう見せて、どう引っ張って、最後をどう締めるのだろう?最後の最後で肩すかしを食ったような終わり方にならないだろうか?と。
そして舞台は、素晴らしかった。
美しく清楚な姫から、”風鈴お姫”。最後の最後、赤子を抱えて桜吹雪の中、静かに狂う姫の姿。美しさと悲しさとに涙を誘わずにはいられない。
音楽、照明、舞台美術、そして役者達の演技が全て一体となって、観客を引きずり込まずにはおかない。そんな力のある芝居だった。
今回の上出来のおかげで、コクーン歌舞伎は「串田和美氏の」という見方が大きくなるだろう。まあ、もともと彼が演出をしているのだから、一貫してそうではあったわけで、これは再確認に過ぎないのかもしれない。ともあれ、次は恐らくまた2年後だろう。今から楽しみで仕方ない。
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