- 2009年12月26日 23:42
- 歌舞伎
今年の歌舞伎納め。最初は『操り三番叟(あやつりさんばそう)』で勘太郎の達者な人形振りと、息を合わせた松也の人形遣(後見)っぷりを堪能。出番はちょっとだったが鶴松の踊りもなかなか。
『野崎村(のざきむら)』はいつぞや人間国宝そろい踏みで見て以来で、やっと若いのが見られた感じ。福助のお光、孝太郎のお染は予想通りにいい出来だったが、意外と良かったのが橋之助の久松。久松は優男で事件の中心人物だけど、芝居の中では決して出しゃばる役ではない。でも優男ぶりがわからなければ、お光にもお染にも同情できないので、そこのところがすごく難しいんじゃないかと思う。その案配が良くて、いい久松だった気がする。こんな役も出来るんだなあと感心してしまった。彌十郎の久作も、しっかりしてて良かった。
『身替座禅(みがわりざぜん)』は勘三郎の右京と三津五郎の玉ノ井に、染五郎が太郎冠者で頑張るという顔合わせ。染五郎、しっかり勤めていて一安心。右京と玉ノ井のやりとりの方が面白いのは仕方ないか。役者が違うもの。巳之助と新悟が千枝、小枝で好演。
『大江戸りびんぐでっど』はゾンビものの新作。「さよなら公演」で各々の月が御馳走のような演目を並べてる中にただ一人新作を掲げねばならなかった宮藤官九郎には大いに同情する。見ていると、彼らのような小劇場派と呼ばれる劇作家さん達は、自分のやり方を変えずに歌舞伎に挑んでしまい、いわゆる「新作歌舞伎」と以前から呼ばれるモノたちとは違うモノになってしまうんじゃないだろうか。自分のやり方+歌舞伎らしく見せるための集団踊りなど、のおかげで何だかちぐはぐなものが出来上がってることが多いような気がするんだよな。「歌舞伎は伝統的に流行物を取り入れているから」という理由で流行ものを入れるのもどうかと思う。一回使い捨てと思って書いているならそれもいいけど、本当に歌舞伎として残そう、再演に耐えるものにしようと思って書いてるのだろうか。たぶん一番それを考えて取り組んだのは野田秀樹じゃないのかな。賛否両論あるだろうけど、『鼠小僧』も『愛陀姫』も『研辰の討たれ』も、たぶん再演には耐え得るし、改良されていけば残っていく可能性がある演目だと思う。ま、中村屋一門以外が演じるかどうかはおいといて、だけど。
しかし、今回のクドカン作品は楽しんで見られた。導入部分やややり過ぎな感はあったし、集団踊りはどうしてもやりたいのかねぇと思ったがそれも今回はうまく流れに取り入れていたように見えた。今日は千秋楽だったから、それまでにはだいぶ練られたのだろうと思うけれども、大笑いさせてもらえたし、ほろっとするところもあった。少なくとも、金返せとは言わない。ただ、歌舞伎?とは思う。主演した染五郎がカーテンコールで「これは歌舞伎です!」と叫んでたけど、叫ばれても首はひねってしまう。じゃあ何が歌舞伎だ、と言われても困るのだけどね...。でも、楽しめる芝居、だったよ。
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