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2011年11月 Archive
『おやすみ、かあさん』
- 2011年11月29日 23:36
- 舞台・ライヴ
もとはと言えば6月に『GGR』を観に行った時のチラシだったのだ。タイトルを目にした瞬間に、遥か昔に見た映画のイメージが蘇った。静かで、悲しい。その日に見た芝居を演出した青山真治が、そちらも監督すると書いてある。母親役が白石加代子、娘役は中島朋子。どんな舞台になるのだろう。私が見たことあるのは映画版だけだ。芝居として見たい。今回の配役とスタッフなら、きっとハズレはないだろう。幸いに仕事も何とかなったので、東池袋あうるすぽっとへダッシュ。いつものことだが開演2分前すべりこみだった。
原作はマーシャ・ノーマンが1983年にビューリッツァー賞を取った戯曲『'Night, Mother』だ。アメリカの田舎町で暮らす60歳の母と、40歳の出戻り娘。父は10年以上前に死んでいるし、娘の息子は十代の不良少年で家には寄り付かないらしい。娘は毎晩10時になると「おやすみ、かあさん」と言って2階の自室へ上がって行く。秋から冬へ向かう時期の、土曜日の夜8時半。いつも通りに日常のこまごまとした用事をリストアップしては片付けていく娘、のんびりと坐ってお喋りをしている母。いつもと違うのは、娘が自殺を宣言したことだった。当然、母は娘を止めようとする。理由を聞き出そうとし、翻意させようとし、必死で話しかける。娘は自分がいなくなった後の母の暮らしを心配し、困らないように準備を十分にしようとする。自殺を止める気はさらさらない。そう、さらさらないのだ。
娘にとっては、これまでの人生で自分が思い通りに出来たことなんて、うまく出来たことなんて、一つもなかった。40歳にもなって、何一つだ。息子は繊細すぎるし不器用すぎるし自分そっくりで、だけど社会と張り合おうとして不良になっちゃった。自分は社会に出て行くこともない。玄関ポーチにすら出られない。夫と出会ったのでさえ、自宅の居間だった。まともに働くこともできない。それでも今は人生で一番落ち着いているのかもしれないし、元気かもしれない。だから、確実にうまく出来る何かが必要だと思いついた。そして、これなら絶対にうまく出来る。父が遺したピストルで、自殺することならば。母は自分をおいていかないでくれと懇願する。どうして死にたいのかわからない。自分は生きたい。死ぬのは怖い。死ぬ気になれば、何だって出来るんじゃないか?いや、自分にも何かが出来ると証明するために、私は自殺するのだと言う娘。母と娘の会話は、かみあってるようでかみ合っていない。娘が抱える孤独と、母が隠してきた孤独。お互いに孤独を抱える者同士であったことが理解できても、そこまで。タイムリミットがやってくる。
舞台には簡単なキッチン、ソファ、ダイニングテーブル、食料庫。中央に2階への階段へ続く扉。母は家事が嫌いでテレビとお喋りが好きなただのおばちゃんかと思いきや、舞台が進行するに連れて深刻なコンプレックスを抱えて、孤独を隠してきたのが露になって行く。引きこもって暮らす娘を無神経に家政婦代わりにしているのかと思いきや...。「確実にうまく出来ること」を見つけた娘は、喜びに溢れて死の準備をしている。確固として、凛として、母への愛に溢れて。愛情を持ち合いながら、一緒に暮らしながら、そして最後に一瞬だけ触れ合いながらも、孤独を埋め合うことはできない母と娘。彼女らの過ごす最後の2時間に、引きずり込まれ、孤独に飲み込まれる。
芝居が終わっても、客席は静まり返っていた。拍手をすることすらできない。暗転していた舞台に再びライトがあたり、白石加代子と中島朋子が出てきて、やっと息がつけた。惜しみない拍手。いい芝居、だった。外は夜。携帯電話の電源を入れ、メールの着信にほっとする。まだ1週間は始まったばかり。私の日常は、続く。
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平成中村座十一月大歌舞伎 昼の部
- 2011年11月26日 23:23
- 歌舞伎
昼の部は楽日の観劇になった。まずは『双蝶々曲輪日記 角力場(ふたつちょうちょうくるわにっき すもうば)』で、橋之助の濡髪長五郎。勘太郎は放駒長吉と山崎屋与五郎の二役。なんだかんだで歌舞伎も結構長く見てきたので、失礼を承知で言わせてもらえば、橋之助はすごく良い役者になったと思う。今回も濡髪の関取としての大きさを感じさせ、ぽっと出の長吉との対比が良かった。
そして舞踊で『お祭り』。勘三郎の踊りはやはり良い。筋書きに載っていた本人談話によると、この踊りはもうやらないことにしようかと思ってたのを、病気をしたりいろいろあって考えが変わったのだという。ただ歩いてるだけで観客を湧かせた父君には叶わないけどと言ってらしたが、なんのなんの。皆さま大喜びでしたよ。
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』から「渡海屋(とかいや)」から「大物浦(だいもつのうら)」では、ただただ仁左衛門に圧倒される。世界を作れるというのは、こういうことかと。孝太郎の世話女房と局の演じ分けも素晴らしかった。脇を固める橋之助、彌十郎、勘太郎、七之助も、ピッと芯が通った芝居で、本当に小屋の中に一つの世界があった。今月から7ヶ月のロングランだけど、来月以降もこういう芝居が見られるといいな。大いに期待。
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The Beatniks Live 2011
- 2011年11月25日 23:07
- 舞台・ライヴ
"Let's Go to Beatown"とタイトルが付いたビートニクス結成30周年ライブに行ってきた。金曜日とは言え平日なので正直かなり危うかったのだけど、なんだかんだと言い訳して定時退社に成功し、余裕を持って中野サンプラザに到着。外のテントでチケットをプレミアシート専用のかっこいいチケットに引き換えてもらい、入場してプレミアシートおみやげグッズを受け取る。レッスントートとDVD。DVDは公式ブートレグということで、ジャケットはご丁寧に2枚目のアルバム『EXITENTIALIST A GO GO-ビートで行こう』のをもじってある。座席は12列目でほぼ真ん中あたり。前の席の人がでかくてちょっと見えにくかったが、隣の席が空だったので大いに体を寄せて見ていた。おかげでスクリーンにいろいろいろいろ映るのも、演奏中のメンバーも、両方ちゃんと楽しめた。
19時開演予定だったが10分遅れで始まり、終わったのは21時30分くらい。もちろん最新アルバム『Last Train to Exitown』からはほとんど演ったんだが、全部演奏しても40分強なので、過去のが6割ほどあり。アルバム全部でも5枚しかないんだが、幸宏さん、慶一さんのソロにしか入ってない曲も演ってくれて、ずるいよーと思いつつ大喜び。音響がいまいちで、特に前半ひどくて聞こえにくいったらなかったんだが、脳内補完して目でも楽しんでたからいいんだ。幸宏さんはドラム叩いたのは3曲だったが、あっただけよしとしよう。中盤にカットアップの実演があり、幸宏さん、慶一さん、高野くんで読み上げ、他のメンバーでBGM。これがなかなか楽しかった。長さとしてもちょうど良かったんじゃないかな。一度やってみたいかも。
残念ながら公演パンフレットは売り切れで買えなかった。CD購入特典ポストカードは無事に引き換えられた。公式グッズとしては他にもタイとかTシャツがあったが興味なし。次に中野サンプラザに来るのは、ムーンライダーズの活動休止前最終ライヴなんだよな...と感慨に耽りつつ家路に着く。風が冷たい。
以下、セットリスト:
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平成中村座十一月大歌舞伎 夜の部
- 2011年11月23日 23:33
- 歌舞伎
隅田公園に小屋が組まれ、今月から半年のロングランとなる平成中村座。最初の公演は平成12年にやはり隅田公園だったそうだが、残念ながら当時は見ていない。隅田川沿いを延々と歩いて公園の端っこまで行くのだが、浅草駅から意外と距離があり、間に合わないかもと焦る。座席は松席(平場)なので遅れて入るのはご免被りたい。最後はほとんど小走りで、幕が上がる1分前になんとか滑り込めた。平場には座椅子を固定した畳が敷かれていたのだが、この固定されてる座椅子がありがたい。一人一人のスペースを広めに取ってあるので足を崩したり坐り直したりし易い上、その時に前後の人に迷惑をかける心配がない。真ん中あたりだったので、できれば縦は互い違いにしてあると良かったのにと思いつつ、前の人が体勢を変える度にこちらも体を斜めらせたり、首を伸ばしたり。最後列で、通路の向こうからは椅子席なので、後ろを気にせずにすむのは良かった。
さて、最初は『猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)』を勘太郎の猿若、七之助の太夫で。若衆に新悟、国生が出ているが、並ぶと体型の対比が際立ってしまい、どちらにもマイナスな印象が...踊りはいいのだけど。華やかな舞踊芝居で、まずは上々。
『伊賀越道中双六 沼津(いがごえどうちゅうすごろく ぬまづ)』は去年の南座でも片岡三兄弟のを見ているが、あれはすごく良かった。今回は仁左衛門の十兵衛、勘三郎の平作に、娘お米が孝太郎。真面目ないい芝居だった。茶屋で休む夫婦者に小山三が出ていて、完全な通りすがりの脇役なのにウケまくっていた。そういえば小山三ストラップも出てたな。レアだし、2種類とも買っておくべきか。
最後は『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』。御存知、浜松屋の店先と稲瀬川の並びだ。弁天小憎は七之助で美しい。南郷力丸が勘太郎、日本駄右衛門が橋之助。国生が浜松屋息子、新悟が赤星十三郎で、彌十郎が忠信利平。七之助と勘太郎の掛け合いは楽しかった。
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吉例顔見世大歌舞伎 夜の部
- 2011年11月20日 23:50
- 歌舞伎
「七世尾上梅幸十七回忌」と「二世尾上松緑二十三回忌」の追善興行を兼ねているそうで、昼も夜も縁の演目がある。夜は『外郎売(ういろううり)』で、松緑が平成元年に祖父・二世松緑と一緒にやった時の装置や演出を用いているとか。松緑は当然のごとく曽我五郎、松也が十郎、工藤祐経を三津五郎。大磯の虎が梅枝、化粧坂少将が右近と、かなり年若な座組であったせいもあり、すごく地味な芝居になっていた。華がない。渡り台詞は途切れない口調の良さが魅力なのに、途中あまりの口跡の悪さ、平板さでしらけてしまったり。外郎売りの早口言葉は見事だっただけに、残念な感じ。
『京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)』は菊之助。蛇精の妖しさに満ちた花子だった。最初から蛇っぽいというか、妖しさがあって、何度も見ているはずなのに、いつ化けるかとドキドキしながら見てしまった。
そして『梅雨小袖昔八丈 髪結新三(つゆこそでむかしはちじょう かみゆいしんざ)』でまたもや菊之助にやられる。菊五郎演じる新三の弟子、下剃の勝奴を演じていたのだが、これが良い。ほどよくチャラけてて、でも兄貴分である新三以上に悪になりそうなヤバさで。それに大家の三津五郎がまたいい。いやー、大家と新三の掛け合い、素晴らしくおもしろかった。大家妻の亀蔵はちょっとやり過ぎだったけど、源七の左團次、善八の秀調はほどよい感じ。時蔵の忠七は、だまされても仕方ない感じのなよやかさで、菊之助と並んで絶妙の配役だった。気持ちよく楽しめた。
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アンペルマン・オクテット・ベルリン
- 2011年11月13日 00:01
- 舞台・ライヴ
山陰の小京都と言われる津和野は、森鷗外、安野光雅の出身地としても有名だ。来年は森鷗外生誕150周年にあたるそうで、記念事業がいろいろ計画されている。その鷗外の眠る永明寺(ようめいじ)という寺があるのだが、そこでベルリンフィルのメンバーで構成されるアンペルマン・オクテット・ベルリンが演奏会を開くことになった。そもそも津和野町とベルリン市中央区が姉妹都市なのだそうだ。永明寺は私にとって母方の菩提寺にあたり、もちろん我が身内では大盛り上がり。お寺さんを通してチケットを確保し、総勢11名で鑑賞に馳せ参じたのだった。
土曜日の夜のコンサートに合わせて羽田空港から石見空港へ飛行機で移動し、そこからはレンタカーで津和野へ。ホテルに車を置いて先ずはお寺へ墓参り。ついでにグッズ売り場に立ち寄って買い物をし、購入者サービスでフリースの膝掛けをいただく。...先着60名と書いてあったのだけど、そんなに売れてないということか?アンペルマングッズだけじゃなく、津和野×ベルリンのコラボグッズも頑張って作ってたみたいなのでちょっと心配。ちゃんと売れたのかしらん。
早めの夕食をという予定だったのだが、皆さま昼間に徳佐でリンゴ狩りをしてきてお腹いっぱいとのことで喫茶店で茶飲み話をして時間を潰し、再びお寺に戻る。参道がライトアップされていて、いつもとはまったく違った雰囲気で驚く。境内に足を踏み入れると、普段は閉じている正面の階段口が開いており、庭園もライトアップされている。美しい。チケットを見せて中に入り、本堂へ上がって席を確保。裏庭もライトアップされていると聞いて見に行く。こちらも美しい。しばし見蕩れた後に席へ戻り開演を待つ。ステージはご本尊の真ん前に設えてあり、ご本尊はほとんど見えないように幕が下がっている。少しだけ隙間を開けてあるのは、失礼にあたらない程度にご本尊にも聴こえるようにか。古い寺だし、控え室は襖一枚で仕切られた続きの間。調弦や練習の音が響いている。
さて肝心の演奏だが、ロッシーニの『弦楽ソナタ』1番と2番、それに『チェロとコントラバスのための二重奏』で第一部。20分休憩があって、ドボルジャークの『弦楽五重奏第2番《ト長調》』だった。ロッシーニがこんなに楽しいとは知らなかった。オーケストラでは聴いたことがあるが、眠くなってしまうという印象だったので。パトロンがコントラバス好きだったそうで、コントラバスが活躍する曲をいろいろ書いているのだそうだ。ちなみにこのアンサンブルのコントラバス奏者は日本人の方である。今回のコンサートについてもブログに書いてらっしゃるので御覧あれ。五重奏のみ参加されたヴィオラが素晴らしかった。前半だって悪くはなかったのだけど、一つの楽器が加わるだけで、これだけ音が豊かになるものか。ドボルジャークが賑やかだったからだけではあるまいよ。
そしてアンコールは再びロッシーニ。あれ?管楽器は?...そう、オクテット(八重奏)は金曜夜と土曜昼だけで、管楽器は夜の部はお休みだったのだ。弦楽アンサンブルだけでも十分に楽しめたが、管も聴いてみたかった。まして帰りの飛行機で管楽器奏者の方と隣席になるという偶然があったので、さらに残念であった。彼は津和野が気に入ったと言ってくれていたけれども。選曲の関係でそこだけ弦楽アンサンブルになっちゃったんだよーと気の毒そうに言われてしまった。いいんだ、今回我々的に大事だったのは、寺に眠る従弟や祖母や大叔母や...とにかくご先祖様達と一緒に演奏を聴くことだったのだから。しかも素敵な月夜に。
ちなみに「アンペルマン」とは旧東ドイツで使われていた信号機の人形マークのこと。子供の形をしている。東西ドイツ統合後はなくなるはずだったが、反対運動があって生き残ったそうだ。日本では白金高輪にグッズを常設販売しているショップもあるそうな。初めて知ったが、かわいらしいのであれこれ買い、従弟の7歳の娘にも缶バッヂとか買ってあげちゃった。スポイルする伯母の典型かもしれない。
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山形で温泉
- 2011年11月 6日 23:56
- 日記
友人に会いに山形へ行ってきた。日程と往復新幹線だけはこちらで決めて手配したが、宿は地元民にお任せだ。山形県には足を踏み入れたことがなかったが、日本海側の東北地方だから遠いだろうと思っていた。なので山形新幹線『つばさ』だと3時間かからずに着いてしまうことに先ずびっくりだ。昼には着いて、おいしい蕎麦を食べていた。現在は地元に帰って仕事をしている友人が、なんとか1日だけ休みを取って寒河江ダム、湯殿山神社と連れ回してくれる。空が広い、空気がピンとしてる、食べ物がおいしい、酒がおいしい。宿は『天童ホテル』で気楽に温泉だ。
翌朝は仕事に向かう友人に合わせて7時に朝ご飯という健康さ。朝風呂に入ってさっぱりして、ちょっと休んで、天童の道の駅へ行ってみた。菊祭りだそうで、見事な大輪の菊が勢揃いしている様は壮観だ。ラ・フランスのと塩トマトのとジェラートを楽しんで、次はお寺さん。若松寺(じゃくしょうじ)というところが縁結びで有名だそうで。境内の杉の巨木や欅の巨木に感動し、お参りし、恋が叶うという風鈴を鳴らす。市内を一望できる絶景だった。そこから、昨日は時間がなくて素通りになってしまった寒河江の道の駅、「チェリーランド」へ移動して買い物。広い広い。見事なカリンがあって、ついうっかり買ってしまう。さらに買い食い。こんにゃく料理を食べに行く前なのに玉コンニャクの誘惑に負けてしまった。
こんにゃく料理は『丹野こんにゃく』さんがやってる『こんにゃく番所』というところで食べられる。いろんなものをこんにゃくで再現していて、おもしろびっくりだけどおいしい。きっと精進料理なんかで昔からこういうのはあったんだろうな。2000円のコースでお腹いっぱい。しかも会計後にサービスで玉コンニャクがまた出てきてしまうという追い打ちが。何の呪いだ。すぐには食べられず、本日の宿、かみのやま温泉の『古窯』に移動してからやっと食べた。おいしいんだけどね...。
『日本のホテル 古窯』は、奈良時代の窯が発掘された場所だそうだ。今では宿泊客向けに絵付けサービスをやっている。好きな皿や人形型に色を塗ったり、文字を書いたりしたのを、夜9時までに預ければ朝の出発までに焼き上げてくれるのだ。そして有名人が宿泊した際には、どうやら記念の一枚を書いてもらうのが通例らしく、いろんな人の皿が飾ってあった。作家、漫画家、音楽家、芸能人、スポーツ選手、政財界からの人などなど。今回のメンバーで一番盛り上がったのが伊藤真一選手の皿。思わず給仕係の若い女の子に解説して聞かせるオヤジ達であった。料理も温泉も堪能。空調の具合も良く、良い宿だった。
最終日は蔵王へ出かけた。エコーラインはすでに冬季封鎖になってしまっているので、蔵王温泉駅から鳥兜駅までのロープウェーに乗ってみる。見晴らしがいい。下りて山形駅まで戻り、レンタカーを返して徒歩で『庄司屋』へ行き、板蕎麦でお昼ご飯に。蕎麦もそば湯もおいしかった。戻ってぶらぶらと時間を潰し、15時過ぎの新幹線に乗り込む。旅の終わりは、いつもちょっと残念。やり残したことや、行きたかったとこが次々と出てきてしまい、次回はああしようこうしようと思ってしまう。まして友人のいる地となれば、次の予定を立てずにはおけまい。普段はあまり肉体労働をしない私達なので、すぐ筋肉痛や疲労でぐったりはしちゃうのだけど、楽しいから頑張れるのだ。また会おうね。
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